えすての海外移住日記

旧ブログ名『もしもあの時、シンガポールでエステティシャンになっていたら。』5年越しの海外移住を実現するべく、住みたい国を探す旅に出ています。

20歳のとき人生の転機を通して思ったこと

※前々回、前回から続いてますので、そこから読んだ方が意味が分かるかと思います。


東京生まれ東京育ちの私は、地方の大学入学を機に田舎へ引っ越しました。そこでだいぶ価値観が変わったし、私自身田舎の環境も悪くないなぁと思っていました。それでもやっぱり、大学を卒業したら東京に戻って働いて、、、というよくある普通の未来を想像していたし、たぶんその未来を信じて疑っていなかった。


でも、その普通の未来を想像していた自分は、20歳のときにいなくなった。「もう東京なんて戻らなくていいや」と思うようになった。


私は、20時のときに休学して海外へ行きました。が、それだけで東京に帰らないと思うようにはなっていない…そう思ったのにはとある事件?が関係していそうです。


大学3年生の4月から1年間休学して海外に行ったのですが、その前の春休み(だいぶ2年生の2〜3月)には、両親が離婚寸前でした。その時は私も弟も、「もう離婚すればいい」くらいに思っていました。それでも私が海外に行くまでにはその決着が着かず…🌀


私は携帯を解約して海外に行ったのですが、パソコンは持って行ったし、家族にメールアドレスは伝えていたので何かあれば連絡が取れる状態でした。大学では普段一人暮らしをしていたものの、私も私の両親もそんな頻繁にメールはしないタイプで「便りがないのはいい便り」とか言ってる感じでした😅海外にも行ってもそれは変わらず…よほどの必要性がない限りは連絡は取らず、当時メールのやり取りをした記憶はありません💀


「便りがないのはいい便り」


私はこれを疑っていませんでした。だから、「メールも来てないし結局まだ離婚してないんだろうな」と半年後の帰国まで信じていました。


半年後に一度帰国したとき、空港まで父親が迎えに来てくれました(確か、母親はこの日パートを休めず空港には来なかった)。実家に帰るまでの道のりで、「まだ離婚してないんでしょ❓」とは気になってはいるものの聞けず…が、途中で父親が一言。








「実は母さんと離婚したから。」







え…まじで…???


20年間の両親への信頼が一瞬にして崩れ去りました…orz
便りがないのはいい便りって嘘じゃん…orz


両親が離婚して悲しいとかよりも、何で離婚したという大事なことを連絡してこなかったのか?ということに怒りを感じました💢私が帰る直前だったならともかく、離婚自体は帰国2〜3ヶ月前の話でした。




私が海外に行っていて知らない間に両親が離婚した上なんの連絡もないという大事件勃発‼️笑


この事件で私は思いました。
「親なんてもう知らない。もう実家も地元も帰らなくていい。私は私で勝手にやる。」


その後数ヶ月間また海外で過ごし、大学へ復学。親なんてもう知らないと思ったので、仕送りも貰わなくなりました(今思えばちゃんと大学行ってガチ部活もやって一人暮らしよく暮らせたなww)。


ただ休学して海外に行っただけ、ただ両親が離婚しただけ、このくらいではきっと「もう東京なんて戻らなくていい」と思わなかったと思います。


20歳のときに休学して海外に行って、両親が離婚して、それまでずっと自分の住む場所だと思っていた東京が帰りたいと思う場所ではなくなりました。


一大事件自体は今思い返しても(両親に対して)どうかと思うけどw、おかげさまで私はどこに住んでもいいやという自由な思想を得ることができました🙄笑


二つの理由と一つの大事件から、20歳って人生の転機だったなぁと思います。今年はまた人生の転機となる一年(のはず)。また数年後にネタとして話せるように頑張ります✨笑